おっさん指南

オッサン死なん、オッサンの楽な生き方を模索します

簡単な瞑想のやり方考え方

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うまく生きるための習慣

前の記事でも書きましたが、自分は元々の不器用さに加えなかなかうまく世渡りができず、普通の人が当たり前に知っていることや説明することがわからなかったりが日常茶飯事です。

 

しかも短期記憶が異常に悪く、さっき確認したタスクがすっぽり頭から消えてしまうなんてこともよくあります。


そんな自分が、少しでも普通に生活したり仕事したりする為にやっていることが少しばかりあります。気休めといえなくもないですが続けているというその事実で、元々の自己評価の低さに若干のかさあげをして自信をつけているような感じです。

 

そう書くと微々たるものなのですが、それでもやらないよりは全然調子がいいです。


何をやっているかというと大したことはしてません。ほんとに巷によくある健全な心身の保持に良いとされるもので、特に真新しいものではありません。巷によくあるだけあって、良いんだなあという感じです(なにそれ)

 

1・瞑想
2・簡単な筋トレ
3・ナ・ワ・キ・シ・タ・イ・ゲ・ドー

 

3・のナワキシタイゲドーは、自意識の高さとか心のこわばりを和らげる僕なりのおまじないのようなものです。

 

瞑想のやり方

まず瞑想ですが、その効果は科学的にも立証されているほどでいまさら語るまでもないのですが、いろいろ考える前にとりあえずやってみるのが一番だと思います。

 

やり方は簡単、ただ単に落ち着ける場所で胡坐をかいてもいいし椅子にすわってもいい。軽く目をつむって5分~10分ゆっくり息をしながらリラックス。


その際に、今の自分の身体を取り巻く状況を意識します。今の自分の人生を取り巻く状況ではないですよ。あくまで今この目をつむっているとき、たとえば息を吸っている時ならお腹のふくらみとか、鼻から息が通っていく感触とかです。

 

慣れてきたら手のひらや足の裏の感じ(あたたかいとかじんじんするとか)にも意識を向け、もし誰かの声や音が聞こえたら、「音」とだけ認識します。そしていろんな考えが浮かんで来たら「雑念が浮かんだなあ」とだけ認識して元の集中に戻ります。

 

この「雑念」に気づくことがたいそう重要なのだそうです。浮かぶこと自体は自然なことなのですが、気づかずにどんどんそのことを考えてしまうのではなく、一歩後ろに別の(本当の)自分を配置して「雑念」が浮かんだ自分に気づいて、一旦それを手放すという感じです。

 

難しそうですが、やってみると意外と簡単だったりします。何か浮かんだら、今瞑想中やから後にしよって思うだけのことです。

 

どんな変化があったのか

これをやりだしてから、変に思われないようにとか恥ずかしいとかいう感覚が減った気がします。なぜだかはよくわかりません。

 

ただ考えられることとしては、今このときの状態を意識する訓練をすることで、人は所詮今しか生きられないことを肌で悟ったような感じになるからでしょうか。偉そうですね(笑)


考えてみれば人によく思われたいとかいうのは、つまるところ今後の自分の立場をよくしたいとか、得したいとか、いじめられたくないとかいう諸々の欲望の裏返しだから、今この瞬間には全く関係のないことですね。

 

とにかく瞑想は、自意識過剰を相当ましにしてくれることは間違いないです。

 

あと結構気になるのが、どれくらいの時間やればいいの?ということです。瞑想の本は何冊も読みましたがまちまちです。わかったことは、それこそ1分~15分まで(可能ならば30分でも)自分のライフスタイルに沿って続けやすい時間でいい、ということです。大事なのは1回の時間ではなく続けることです。「継続は力なり」です。

 

自分はできるときは朝方に5分(時間がなければ夜)、なるべくやるようにしています。できない日ももちろんありますが、そんな時はやらなかったからといって、凹んだり気に病んだりしないことが大事です。僕はなぜか仕事のある日の方がやれている日が多いです。身体が無意識にストレスを軽減させようとしているのかもしれません。なんせ大事なのは、できない日があっても続けることなのです。

 

(追記・自分は2018年より台湾旅行をきっかけに思い立って始めた太極拳の立禅(立ったまま瞑想する)で代用することが増えました)

 

「継続」は弱者の唯一の武器

何事も続くか続かないかは敷居の低さにかかっています。プレッシャーに感じていると、余計に遠のいてしまうものです。勉強なんかでも、1日1問とかハードルを低めに設定していると、意外とやりだすと結構な量進んだりするものです。

 

やりだすまでの「えいやーっ!」のハードルを超低くしておくのが、瞑想に限らず何においても継続のコツだろうと思います。そしてつまらぬことでも、少しずつでも継続さえできれば、ものすごいことになったりするものです。

 

自分はこの小さな小さな継続方法で、昨年電験3種という難関国家資格に合格することができました。「継続」は特に自分のように地頭が悪く、総合的に全ての能力が平均以下のような人間にとっては、唯一の武器なのではないかとさえ思います。

 

瞑想の効用まとめ

話はそれましたが、瞑想を続けて、今ここにいる自分を見つめ、過去や未来のことは一旦棚上げしていちいち考えない習慣をつけること、これだけでだいぶ生きるのが楽になります。

 

自分と人を比べてだめだなあなんて思うことも、今しか生きれないことを念頭に置いてみれば、なんてことない問題に思えてくるものです。

 

人より劣っている自分を意識してそれを原動力にして努力するんじゃん、なんて人もいますが、それができる人はそうすればいいです。元々自己評価が低くて、毎日生きづらさを抱えているような人間はそんな無理をするべきではないと思います。

 

2の、簡単な筋トレ
3の、ナ・ワ・キ・シ・タ・イ・ゲ・ドー、のおまじない

についても、自分なりの方法論と効果について、いろいろとあるのでまた改めて書きたいと思います。

僕が変な絵を描き続けるわけ

挨拶

はじめまして。備忘録も含めた雑多なブログです。キモい落書きみたいな絵を描いたり、好きな音楽の話や、自分なりの中年オヤジとしての精神衛生の保ち方なんかを書き留めたりしていこうと思います。

 

10年くらい、趣味で2コマ漫画や変な絵を描いてレンタルのホームページスペースに載せていたんですが、最近そこでのアップロードがうまくできなくなってきてたんです。

 

まあ無料スペースなので文句も言えないし、なんかこれは察しろよ、てか暗に出てってくれ、てことなのかなと、元来のネガティブ思考がひょっこり顔を出してきました。(※追記・現在は同じ系列のところで無事続けることができています)

↓↓↓↓↓

100mankasite.starfree.jp

 

で、どっかないかなーと探しててふと思ったのが、どうせならアップロードも更新も簡単なブログでいいや、不具合とかも少なそうだし、文章書くのも後で読み返すの面白そうだし、ていう安易な理由ではじめてみました。

 

 なんで変な絵を描いてるか

ちなみにそれらの落書きはナンセンスで、自分でいうのもなんですが、笑うというより呆れてため息が出るような、幼稚な内容です。(実際小学生以下と言われたこともある)

 

ただ、なにゆえか精神安定の一因を地味に担ってくれている(主にひとつ描き終わったときの達成感かもしれない)ので、できればこれからも続けていきたいと思っているのです。

 

 ちなみにこんな感じです(下の絵)↓
画、内容共に生理的に合わない率高いです。意味わからん、なんでウーパールーパーなん? とか。

 

 言い訳みたいですが、自分は子供の頃から発達障害気味で、まあオッサンになった今でもなんですが、あまり世間の人の言うことが理解しにくくて、自らの空想の中に入り込む割合が大きく、脳内はこういうような感じのことが突然ぐるぐる回りだしたりするんですね。

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なので人前では「必死」で世の中についていって、変わった人と思われない努力満載で生きてます。

 

 ホントに「必死」、毎日ヒトヒト、よく50年近くも生きてこられたと感心します、冗談抜きで。だからといって自分を褒めてあげようとまでは思いませんが。

 

 てなわけで、こういう落書きを思いっきり描いて発散し、たまに脳内に溜まった膿のようなものを開放してやると、覚せい剤をきめた時のような(きめたことないけど)爽快感に目がくらくらしてしまうのです。

 

生きる知恵

自分のような人間が少しでも楽に生きるには、ちょっとした知恵が必要です。 

 

それは先ほどの落書きのように、何かを吐き出すことだったり、とにかく身体を動かすことだったり、瞑想を続けてマインドフルネスな状態(過去や未来を思い煩わず今ここだけに集中して生きている状態)になる習慣づけを行ったりです。

 

月並みなことばかりですが、経験上世間でいいと言われていることは、続けているとほんとにいい場合が多いです。大体は続かないから『何もかわらんわ』てなっちゃうんですね。

 

あと、こういう時はこう思うようにする、人とは絶対になにがなんでも比べない、てな感じに、考え方の癖をうまく誘導してやるのも知恵のひとつです。(なかなか難しいですが)

 

そんな知恵を自分に言い聞かせる意味も込めて、ここにちょこちょこと漫画や思ったことなんかを書き記すことで再確認しようと思います。

 

生きにくさを感じている人にも、もちろん自分に対しても、そんなにがんばらんでも、適当でええよ、世の中自体適当なんだし、という発信をすこーしずつでもしていきたいです。