おっさん指南

オッサン死なん、オッサンの楽な生き方を模索します

言葉で考えますか?イメージで考えますか?

f:id:rebelrider:20180324214020j:plain

言葉の効用

先日4人ほどでごはん食べに行って、何か勉強とかしなければいけないとなった時どんな?て話になりました。

 

当然なかなかやる気が出ないとか続かないとか、気がつけばゲームをしたり好きな本を読んだりしてしまうとかって話になります。

 

その際に、今まで試した中では敷居を思いっきり低く設定するのが有効だったよ、という話が口下手な自分の口からすらすらと出てきました。

 

こんなことはめったにないのですごく印象的な出来事だったのですが、これにはちゃんとした理由があったのです。

 

敷居を低く云々は、つい先日ブログに書いたことなのです。

rebel.hatenablog.com

頭の中でこれこれこうで、ではなぜそうだったかとかが一度言葉にすることによって、まとまっていたわけです。

 

人となりは何で決まる?

あなたは何か思考するときに言葉で考えますか?イメージで考えますか?

 

僕は言葉では考えません。というか考えられません。だから論理的な思考ができずにいつも頭の中がぐちゃぐちゃなのです。

 

そういう人間は一度何かの折に考えを言葉にまとめるのがいいと感じました。大げさにいうと、自分は何者なのかへの答えを求めるならば、イメージだけでは非常に捉えづらいということです。

 

言葉はなくても、とっさの行動や反射的にどう動く人か、で人間の個性はある程度決まる物かもしれません。

 

でもそれだと、周囲の者は自分のことをわかっているかもしれませんが、自分で自分のことはよくわかっていないのではないでしょうか。俺ってほんまに~なんよな、と思ったりはしてもその実モヤーっと霧のような状態なわけです。

 

考えの整理は意外と楽しい

とにかく日記でもメモでもなんでもいいから言葉にしてみる作業は、自らの内面のどこかに乱雑に置いてある積み木を丁寧に積むようなものだと思います。

 

遠くから見てもそれが何に見えるのか一目瞭然ならばなおいいわけですが、近くで自分にしかわからなくてもそれはそれで全く無駄なわけではありません。


少なくとも前述したモヤーっとした霧は晴れているはずです。

ワイズリーブラザーズについて

f:id:rebelrider:20180317211428j:plain

ブラザーズだけどガールズバンド

今年2月にファーストフルアルバム「YAK」をリリースした日本の3人組ガールズバンド、ワイズリーブラザーズはワイズリーブラザーズバンド、といってほしい位のバンドバンドしたバンドで、最近のお気に入りです。

 

いろんな魅力がつまっているおもちゃ箱のような人たちで、娘共々親子揃ってファンです。

 

最初は良さがわからなかった

一番最初に聴いたときは、あのとても印象に残るアーティスティックな声が故に逆に3人の醸し出す無二の音の間に気づけずに、ああ日本の3人組ガールズバンドだなあとスルーしてしまっていました。

 

それがシンプルで音数が少なく、どこかで出会った気がするようなギターソロが出てきてあれっ?となって。

 

さらにYouTubeで「鉄道」を聴いてから

www.youtube.com

すごく妙に気になって耳から離れなくなり、他の曲も探す内に細部とか音そのものとかリズムまでゆっくり聴いてると、そのたびに「なにこれ完璧じゃん」と素人ながらに思ってしまったのです。

 

プロではなく素人に(なんとなく)そう思わせるのって難しいことだと思うんですが、たぶん全く意識せずにそうなっちゃってるんでしょうね。

 

何に対峙したとしても誠実で無邪気な生活者としての全てを放り込んで滲み出させていることが、違和感なく心の琴線にすっと入ってくる一番の理由なのかなと勝手に思っています。

 

その魅力とは

アルバム「YAK」を聴いたときは、生っぽさとかスパッと終わるとことか初めてビートルズを聴いた時の様な高揚がまず来て、そっからは完全にするめでした。それも特産品の高級なやつ。

 

頭の中でヤックの曲が一日中入れ替わり立ち替わり流れている状態です。

 

曲はもちろん、発信、ファッション、創作物なんかにもこの3人にしか作り出せない独特の雰囲気があり、かっこつけることのない(人間なので多少はつけるかもしれないが)「嘘のなさ」が拡大されているように見えます。

 

超自然体ゆえ

表現というものによって、いとも簡単に誰にも分け隔てなく信頼と安心を得させて異空間に旅立たせる。(こう書くとなんだか宗教色が出てきますが)

 

若いのにそういうことを自然にできてしまうのがワイズリーブラザーズだと思います。彼女らにはもともとすごいものが宿っていて年を経てもこの嘘偽りない感じはそのままに、表現力はもっと圧倒的になっていくのだろうと思います。

 

そのころには(もっと早いかもしれないけど)多分知らぬ者はいない位の大きな存在になっているでしょう。

 

いい意味で昔の洋楽を思わせる生々しくグルービーな演奏、CDでもライブでも変わらず素晴らしい演奏と歌声。なのに全くすかしたり気取ったりせず、屈託ない笑顔と自然体。

 

やなこと忘れます

ワイズリーブラザーズの曲や、3人の何がしかの作品にふれている時間は時に優しい気持ちになるし、別の世界にいるみたくなる不思議な体験です。

 

3人のそれぞれの声、楽器の音色、醸し出す雰囲気、人生観までもが渾然一体となってこれ以上ないハーモニーで溶け合って聴く人見る人の心の奥底に入り込んできます。

 

結局この思いにつきる

いろんな人を少し幸せにしたり、背中を軽く押してくれたりの彼女達が表現者であってくれてよかったと思います。(ライブも最高でした)

簡単な瞑想のやり方考え方

f:id:rebelrider:20180311215418j:plain

うまく生きるための習慣

前の記事でも書きましたが、自分は元々の不器用さに加えなかなかうまく世渡りができず、普通の人が当たり前に知っていることや説明することがわからなかったりが日常茶飯事です。

 

しかも短期記憶が異常に悪く、さっき確認したタスクがすっぽり頭から消えてしまうなんてこともよくあります。


そんな自分が、少しでも普通に生活したり仕事したりする為にやっていることが少しばかりあります。気休めといえなくもないですが続けているというその事実で、元々の自己評価の低さに若干のかさあげをして自信をつけているような感じです。

 

そう書くと微々たるものなのですが、それでもやらないよりは全然調子がいいです。


何をやっているかというと大したことはしてません。ほんとに巷によくある健全な心身の保持に良いとされるもので、特に真新しいものではありません。巷によくあるだけあって、良いんだなあという感じです(なにそれ)

 

1・瞑想
2・簡単な筋トレ
3・ナ・ワ・キ・シ・タ・イ・ゲ・ドー

 

3・のナワキシタイゲドーは、自意識の高さとか心のこわばりを和らげる僕なりのおまじないのようなものです。

 

瞑想のやり方

まず瞑想ですが、その効果は科学的にも立証されているほどでいまさら語るまでもないのですが、いろいろ考える前にとりあえずやってみるのが一番だと思います。

 

やり方は簡単、ただ単に落ち着ける場所で胡坐をかいてもいいし椅子にすわってもいい。軽く目をつむって5分~10分ゆっくり息をしながらリラックス。


その際に、今の自分の身体を取り巻く状況を意識します。今の自分の人生を取り巻く状況ではないですよ。あくまで今この目をつむっているとき、たとえば息を吸っている時ならお腹のふくらみとか、鼻から息が通っていく感触とかです。

 

慣れてきたら手のひらや足の裏の感じ(あたたかいとかじんじんするとか)にも意識を向け、もし誰かの声や音が聞こえたら、「音」とだけ認識します。そしていろんな考えが浮かんで来たら「雑念が浮かんだなあ」とだけ認識して元の集中に戻ります。

 

この「雑念」に気づくことがたいそう重要なのだそうです。浮かぶこと自体は自然なことなのですが、気づかずにどんどんそのことを考えてしまうのではなく、一歩後ろに別の(本当の)自分を配置して「雑念」が浮かんだ自分に気づいて、一旦それを手放すという感じです。

 

難しそうですが、やってみると意外と簡単だったりします。何か浮かんだら、今瞑想中やから後にしよって思うだけのことです。

 

どんな変化があったのか

これをやりだしてから、変に思われないようにとか恥ずかしいとかいう感覚が減った気がします。なぜだかはよくわかりません。

 

ただ考えられることとしては、今このときの状態を意識する訓練をすることで、人は所詮今しか生きられないことを肌で悟ったような感じになるからでしょうか。偉そうですね(笑)


考えてみれば人によく思われたいとかいうのは、つまるところ今後の自分の立場をよくしたいとか、得したいとか、いじめられたくないとかいう諸々の欲望の裏返しだから、今この瞬間には全く関係のないことですね。

 

とにかく瞑想は、自意識過剰を相当ましにしてくれることは間違いないです。

 

あと結構気になるのが、どれくらいの時間やればいいの?ということです。瞑想の本は何冊も読みましたがまちまちです。わかったことは、それこそ1分~15分まで(可能ならば30分でも)自分のライフスタイルに沿って続けやすい時間でいい、ということです。大事なのは1回の時間ではなく続けることです。「継続は力なり」です。

 

自分はできるときは朝方に5分(時間がなければ夜)、なるべくやるようにしています。できない日ももちろんありますが、そんな時はやらなかったからといって、凹んだり気に病んだりしないことが大事です。僕はなぜか仕事のある日の方がやれている日が多いです。身体が無意識にストレスを軽減させようとしているのかもしれません。なんせ大事なのは、できない日があっても続けることなのです。

 

(追記・自分は2018年より台湾旅行をきっかけに思い立って始めた太極拳の立禅(立ったまま瞑想する)で代用することが増えました)

 

「継続」は弱者の唯一の武器

何事も続くか続かないかは敷居の低さにかかっています。プレッシャーに感じていると、余計に遠のいてしまうものです。勉強なんかでも、1日1問とかハードルを低めに設定していると、意外とやりだすと結構な量進んだりするものです。

 

やりだすまでの「えいやーっ!」のハードルを超低くしておくのが、瞑想に限らず何においても継続のコツだろうと思います。そしてつまらぬことでも、少しずつでも継続さえできれば、ものすごいことになったりするものです。

 

自分はこの小さな小さな継続方法で、昨年電験3種という難関国家資格に合格することができました。「継続」は特に自分のように地頭が悪く、総合的に全ての能力が平均以下のような人間にとっては、唯一の武器なのではないかとさえ思います。

 

瞑想の効用まとめ

話はそれましたが、瞑想を続けて、今ここにいる自分を見つめ、過去や未来のことは一旦棚上げしていちいち考えない習慣をつけること、これだけでだいぶ生きるのが楽になります。

 

自分と人を比べてだめだなあなんて思うことも、今しか生きれないことを念頭に置いてみれば、なんてことない問題に思えてくるものです。

 

人より劣っている自分を意識してそれを原動力にして努力するんじゃん、なんて人もいますが、それができる人はそうすればいいです。元々自己評価が低くて、毎日生きづらさを抱えているような人間はそんな無理をするべきではないと思います。

 

2の、簡単な筋トレ
3の、ナ・ワ・キ・シ・タ・イ・ゲ・ドー、のおまじない

についても、自分なりの方法論と効果について、いろいろとあるのでまた改めて書きたいと思います。

僕が変な絵を描き続けるわけ

挨拶

はじめまして。備忘録も含めた雑多なブログです。キモい落書きみたいな絵を描いたり、好きな音楽の話や、自分なりの中年オヤジとしての精神衛生の保ち方なんかを書き留めたりしていこうと思います。

 

10年くらい、趣味で2コマ漫画や変な絵を描いてレンタルのホームページスペースに載せていたんですが、最近そこでのアップロードがうまくできなくなってきてたんです。

 

まあ無料スペースなので文句も言えないし、なんかこれは察しろよ、てか暗に出てってくれ、てことなのかなと、元来のネガティブ思考がひょっこり顔を出してきました。(※追記・現在は同じ系列のところで無事続けることができています)

↓↓↓↓↓

100mankasite.starfree.jp

 

で、どっかないかなーと探しててふと思ったのが、どうせならアップロードも更新も簡単なブログでいいや、不具合とかも少なそうだし、文章書くのも後で読み返すの面白そうだし、ていう安易な理由ではじめてみました。

 

 なんで変な絵を描いてるか

ちなみにそれらの落書きはナンセンスで、自分でいうのもなんですが、笑うというより呆れてため息が出るような、幼稚な内容です。(実際小学生以下と言われたこともある)

 

ただ、なにゆえか精神安定の一因を地味に担ってくれている(主にひとつ描き終わったときの達成感かもしれない)ので、できればこれからも続けていきたいと思っているのです。

 

 ちなみにこんな感じです(下の絵)↓
画、内容共に生理的に合わない率高いです。意味わからん、なんでウーパールーパーなん? とか。

 

 言い訳みたいですが、自分は子供の頃から発達障害気味で、まあオッサンになった今でもなんですが、あまり世間の人の言うことが理解しにくくて、自らの空想の中に入り込む割合が大きく、脳内はこういうような感じのことが突然ぐるぐる回りだしたりするんですね。

f:id:rebelrider:20180305230040j:plain

なので人前では「必死」で世の中についていって、変わった人と思われない努力満載で生きてます。

 

 ホントに「必死」、毎日ヒトヒト、よく50年近くも生きてこられたと感心します、冗談抜きで。だからといって自分を褒めてあげようとまでは思いませんが。

 

 てなわけで、こういう落書きを思いっきり描いて発散し、たまに脳内に溜まった膿のようなものを開放してやると、覚せい剤をきめた時のような(きめたことないけど)爽快感に目がくらくらしてしまうのです。

 

生きる知恵

自分のような人間が少しでも楽に生きるには、ちょっとした知恵が必要です。 

 

それは先ほどの落書きのように、何かを吐き出すことだったり、とにかく身体を動かすことだったり、瞑想を続けてマインドフルネスな状態(過去や未来を思い煩わず今ここだけに集中して生きている状態)になる習慣づけを行ったりです。

 

月並みなことばかりですが、経験上世間でいいと言われていることは、続けているとほんとにいい場合が多いです。大体は続かないから『何もかわらんわ』てなっちゃうんですね。

 

あと、こういう時はこう思うようにする、人とは絶対になにがなんでも比べない、てな感じに、考え方の癖をうまく誘導してやるのも知恵のひとつです。(なかなか難しいですが)

 

そんな知恵を自分に言い聞かせる意味も込めて、ここにちょこちょこと漫画や思ったことなんかを書き記すことで再確認しようと思います。

 

生きにくさを感じている人にも、もちろん自分に対しても、そんなにがんばらんでも、適当でええよ、世の中自体適当なんだし、という発信をすこーしずつでもしていきたいです。