思考言語化への道は遠いぃ
自分の脳内イメージ
修業が足らんのか?
いろんな感情や描写なんかをなんとなくでなく、しっかり言葉にして生きていたい、てのはこんなじじいになってからでも常々思ってるので自分に言い聞かせる為にもこんな記事を書いたりしたんですが、
長年のなんとなく生きる癖は抜けきれなくて、宇宙語みたいなわけわからんイメージを脳内に持ったまま現在も毎日過ごしています。
「湯遊ワンダーランド」を読んで
まんしゅうきつこさん(まんきつさんに改名されたそうです)の漫画「湯遊ワンダーランド」の中で銭湯で話す若者の話を立ち聞きして「今の若い人の会話ってレベル高いなー」って思うシーンがあって、若い人が割と多い職場にいる自分も同じように感じることがありわかる、と思いました。
そこまでは同じなんだけど、自分の場合は言葉ではなくなんか変な感じがするだけなんです。だから若い人の会話を聞いて漠然と何かは感じてるんだけど、今いち自分でもそれどう思ってるのかわかってない。
歳をとってから特に1人でぶらぶらすることが増えたんですけど(楽だから)ふと思ったのが、あんな風に言葉でいろんな事を感じてないよなあ、てことです。
私小説のようにも思える内容の作中では、主人公であるまんきつさんが、家でも外でも実にいろんな事を考えます。普通の思考では出てこないような発想や時には迷走したりオカルトチックになったり(それがめちゃくちゃ面白い!)
とにかくそれら全てをとてもわかりやすい「言葉」で考えていて、変な感想かもしれませんがそこに感動してしまいました。(2巻では、次の墓参りは絶対あんな風にしたい、と思った)
作品だから思考を言葉に表しているというのもあるかもしれませんが、それを差し引いても、モワーンと霧のかかったような頭であっちへ行きこっちへ行き、結局何を見て何を感じたか覚えていないような今の自分にとっては比べようもないシンプルで綺麗な生き方のように思えます。
そんなもんかもしれんけど
家でも会社でもなんとなく生きて、なんとなく快不快を感じて、資格の勉強したりラジオ聴いたり、その間なんか絶対考えてるはずなのに漠然としたふわふわした感覚しかないんですよね。これ、病気かもな?と思います。
見聞きしたことや思ったことをなんでもかんでも言葉にして腹に落とし込みたくなりました、無性に。
最高に面白いしためになる漫画でした
この漫画読んでて思ったのは、ほんとに何気ない日常の中でも葛藤したり試したりしながら少しでも気持ちよく自分らしく生きようとするのって、結果が芳しくなかったりうまくいかないことも多いかもしれませんが、ある程度年齢を重ねた人間にとって理想の生き方なんじゃないかということです。
人生も終盤に向けて、なるべくやなことはどんどん避けて通ってもいいと思う。今後一切怒られたくないというのもわかる(笑)
そんな生き方にもってこいのツールが脳内の言葉なのかもしれません。そういえばこのブログに書いた(といっても記事少なすぎですが)ことって不思議と忘れてなかったり、指標になってたりまたそれがしっかり実践できてたり、また楽しかった経験はより印象が濃くなってたりします。
ん、みんなは普通にやってるのか?
てかもしかして言葉で考えるのんて地球上のみんな当たり前にやってることなんかな??どうなん?
「言葉」をないがしろにせず、もっと大事にしようと思います。手始めに、頭の中で自分というAIを飼っているイメージを持って暮らしてみようと思います。結局それって自分じゃん、て事ですが、言葉を脳内で流す習慣を何十年も怠ってきた人間にはもう1人の自分に喋らせるくらいの強烈なイメージが必要です。
手始めにそいつの名前を「言葉で」考えます。