自分のことはわからないもんです
2コマ漫画もついでに
惰性で気が向いた時だけ更新してる糞ブログですが、今後は描きためてた2コマ漫画を載せたりもしていきたいと思います。
積み木のごとくグンラグラ
完璧主義なのかA型なのかはたまたASDなのかあれなのか、呪文を唱えたり社会とうまく付き合おうとあがいたりしてましたが、崩れると早い物です。
少し前に交通事故で左膝を痛打しまして、なかなか不自由な生活をしつつ治癒の希望も持っていたのですが、1ヶ月2ヶ月と立っていくうちにこれはもう一生付き合っていかねばならないのではないか、と思い始めてからなんか全てが適当になってしまいました。 ストレッチとか太極拳ができなくなったのも大きかったです。 まあ今はどっちみち太極拳はコロナで講座には行けませんが・・
簡易な筋トレとか人とうまくやれてるふりとか、どうでもいいや、て。(でもちゃんと病院は行ってます)
この程度のことで投げやりな気分になってしまうんだからわし、普段しっかり生活してるつもりでもぐんらぐらやなあ、てほとほとあきれます。
土台は大切
ただ足、てほんと大事だなと思うのが、結構そこに依存している生活スタイルとか生きがいになってる場合が多いんですよね。
例えば自分ならば、
○頭が悪く忘れっぽいので職場ではなるべく現場で身体を使う側に回っていた
○むしゃくしゃしたらスクワット的な筋トレとかやっていた
○太極拳を趣味で続けている
○ストレッチしながらの瞑想的な呼吸法でリラックス
これらのことを全て見直さなければならなくなるのです。 職場では今までなら走って戻れば間に合う事でも、最初から忘れたりしないように注意深く張りつめなければなりません。 ストレッチも膝を曲げたり伸ばしたりが痛いので自然と遠のき、同時に瞑想もしなくなりました。
生活の土台も大切
こういう無理矢理スタイル変わる感じ、て結構きついです。 まあでも自分はたまたま住む家と命と仕事が一応あるだけましだとは思います。
ここ最近のコロナ禍で家や職場を失う人が大勢出てるのは気の毒で仕方ないです。 自分も一時期はホームレスになりかけましたからあの死にそうな不安は味わった者にしかわかりません。 なかなか続く職場が見つけられない自分も悪かったかもしれませんが。 でも竹中なんたら、ていうじじいが推し進めてきたグローバリゼーションのせいでただでさえ苦しい生活を強いられてるのに、今まじで死の危険を感じさせられてる人々には罪は全くありません。 それを自己責任とかなんとかのたまう輩はろくでなしです。 国会中継見てても思いますが本当に今の政府、自民党って心がないですね。 どうなればあんなに冷酷になれのでしょうか。 映画の中の世界か?と思ってしまいます。
違うことを始めよう
話はそれましたが、生活スタイルは変えざるを得なくてもしつこく生きてかんとあきません。
とりあえずはできなくなったことの変わりに、エネルギー管理士(電気)という資格を2~3年かけてのんびり勉強してみたいと思います。 何年か前に資格手当てが目当てで電験3種という資格をまぐれに近い形で取得したのですが、何も身についていないことに気づき、もう一回似た内容であるエネルギー管理士に挑戦してみたくなったという次第です。
これも続くかどうかわかりませんがまずは敷居低く1問ずつでも解いていく所存です。
関係ないですがアマゾンプライムでたまたま見た「リンカーン弁護士」、つまらなそうな題名に反しめちゃ面白かったです。
なわどーフーコー
指針の呪文ちょっと変更
若者の生きづらさってクローズアップされやすいけど、能力が低く今の社会のスピードや考え方とはいまいち合わないけどなんとか必死で合わせて生きてるじじいの生きづらさ。
そういうのを抱えてる人、どれくらいいるんでしょうか。自分だけなのか? 知りたいところです。
以前、なわきしたいげどー、て呪文を自分で考えて唱えてきました
rebel.hatenablog.com
ですが、ここいらで少し変更しようと思う。
それは「なわどーフーコー」
自殺してはじめてやっと生きていけるバカさ加減
何か忘れてないか、の「なわ」は脳が退化して無くなりかけてる感じが年齢を重ねてさらに磨きがかかりだしたASD体質の自分には必須なのでそのまま保留。
てか最近富に忘れ物とか仕事上のミスが増えてきて、このままではヤバい、自殺しないと生きていけない(?)と感じ始めたのであります。
そもそも変えようと思った発端はこれ。 余計なものは排除して自分とは全く相容れない世の中(世の中が悪いのではなく自分が悪いんですけどね)になんとか同調して生きていく選択をしたからにはトコトン同調してバカなミスを少なくして生きていかねばえらいことになると感じ始めたわけです。
この文章自体ヤバい感じもするが自分ではどうしようもないです。
バカのくせにかっこつけたいスーパーバカ
次の「どー」のどー思われてもいい誰にでも、てのは「他社の課題」や「いまここだけを生きる」よりも、頭の回転が超絶悪いくせにカッコつけて賢いふりをしようとするくせがいつまでたっても抜けない自分にいい加減腹が立ってのことです。
他人がいれば常に氷のようにカチコチでイカリ肩
「フーコー」は子供の頃から大好きだったアントニオ猪木の戦法「風車の理論」のフー。 これは身体の力を抜いて相手の技を受け流し、その力を利用して逆に攻撃に転じるというもの。
攻撃はしないけど、常に肩の力を抜いてぼけーっと生きて(それでなくても世の中で変に浮かないようにガチガチに固まってしまっているので)、いざというときだけ脳をフル回転させて機敏に対処する、という感じで生きていきたいなあという思いなわけです。 有事の際の機敏さといっても普通の人の普段より多分機敏じゃないですけど。
孤独に抗おうとする執着心がとても嫌
幼稚な大人の存在価値は?
涼しく熱い「Captain Sad」
関係ない挿絵
7月の月の真ん中の週のさらに真ん中に届いたThe Wisely Brothers の2ndアルバム「Captain Sad」
悲しみを持ちながらもいつか光に変えるキャプテンサッド。頼もしいコンセプトだけで即聴いてみたくなります。
戻らない歌を歌う
冒頭の「気球」。ベースラインが入ってきた時の気持ちよさは昔「Silly Love Song」を初めて聴いた時を思い出しました。
まっすぐすすんだ
君を忘れかけていた
戻らない歌を歌う
ほんとは全然違うやろけど損をかぶるまじめな人に対するオマージュと思うと、なんとなく救われる気になるのでそう感じておきます。
人間観察してるとまっすぐな人ほどいろいろ考えんといけん(と思い込んでる)ことが多く余裕がなくて敬遠されたり。やからそんな人をたまに見かけると少し愛おしく感じる。
それとそういうことに対する(よくいわれるまじめな人ほど損をする的な)理不尽さを世の中に対して常々感じてたりもするので・・
で発売日はたまたま有給で休んだ日だったので、なんとなくそんなことも考えました。
悠々爽快に飛びすさむ
「ツバメ」の夏っぽくしめやかなギターフレーズはとても心地良く、涼やかなのにもの悲しい感じは好きな夏のイメージに近くて縁側で冷しうどんを食べたくなりました。(そうめん嫌いなので)
つばめは通りをぬけて
悲しみさえも風に変え
さわやかに勢いよく通りを抜けるさまはいかにも、悩みは悩みのままとにかくシフトチェンジしていこうと提案してくれているみたいです。
誰もが抱えるであろう生きにくさに勇気を与えてくれるような、そんな楽曲に感じました。
一筋ナワではいかぬ音の群れ
アルバム全体、輪郭はPOPなのにとても変わった感じの攻めたリフやリズムが多い感じがします。言葉もそう。
「Captain Sad」を聴いている時に浮かぶ彼女らのイメージは、何も持たずに中ぐらいの庭に放り込まれて、木々や草や土やおよそあるものを駆使して表現する芸術家のようです。
川の流れのように
「River」
River下がる
いろんなせでみるの
人があらいのがれ
もうすぐになれば
忘れてしまう
あっという間に抗う術もなく川のように流れる年月。
ブルーススプリングスティーンが若い頃に歌った「River」は私小説的で、アメリカの片田舎での閉塞感がだんだん先細るような川を連想させました。(実際そんな川はないやろうけど)
彼女らの「River」は生きていく上で目にする森羅万象や人々に対して全てに意味を求めるわけでもなく、かといって諦めるでもなく、この場所のこの流れって刹那だよね〜、みたく言ってるようでした。(そんな軽くはないでしょうが)
おっさんの頭の中ではスプリングスティーンより美空ひばり的な川がゆるやかにかつ力強く流れていました。
職人の持つ潔さ
いつもだけど今回富に感じたのは、音の洪水ではなくいいと思えた物のみを丁寧に選択し削ぎ落とした上で創造された歌詞、リズム、旋律のように思えます。その割には潔い一発録りっぽい雰囲気もある。(実際は違うと思いますが)
なんとなくその辺りに飽きがこない理由もあるように思います。
職人は「自分の」感覚を信じてそれに対して嘘をつかない作品を世に放ち、後の評価はどうあろうがそこに迷いはありません。若き職人気質達の紡ぐ音は時代に左右されない普遍性に満ちています。
5回くらい聴いてみた感想を簡単かつ好き勝手に述べましたが、聴く度にいろんな発見があり、また自らの感じ方も変わる予感がする良盤です。
思考言語化への道は遠いぃ
自分の脳内イメージ
修業が足らんのか?
いろんな感情や描写なんかをなんとなくでなく、しっかり言葉にして生きていたい、てのはこんなじじいになってからでも常々思ってるので自分に言い聞かせる為にもこんな記事を書いたりしたんですが、
長年のなんとなく生きる癖は抜けきれなくて、宇宙語みたいなわけわからんイメージを脳内に持ったまま現在も毎日過ごしています。
「湯遊ワンダーランド」を読んで
まんしゅうきつこさん(まんきつさんに改名されたそうです)の漫画「湯遊ワンダーランド」の中で銭湯で話す若者の話を立ち聞きして「今の若い人の会話ってレベル高いなー」って思うシーンがあって、若い人が割と多い職場にいる自分も同じように感じることがありわかる、と思いました。
そこまでは同じなんだけど、自分の場合は言葉ではなくなんか変な感じがするだけなんです。だから若い人の会話を聞いて漠然と何かは感じてるんだけど、今いち自分でもそれどう思ってるのかわかってない。
歳をとってから特に1人でぶらぶらすることが増えたんですけど(楽だから)ふと思ったのが、あんな風に言葉でいろんな事を感じてないよなあ、てことです。
私小説のようにも思える内容の作中では、主人公であるまんきつさんが、家でも外でも実にいろんな事を考えます。普通の思考では出てこないような発想や時には迷走したりオカルトチックになったり(それがめちゃくちゃ面白い!)
とにかくそれら全てをとてもわかりやすい「言葉」で考えていて、変な感想かもしれませんがそこに感動してしまいました。(2巻では、次の墓参りは絶対あんな風にしたい、と思った)
作品だから思考を言葉に表しているというのもあるかもしれませんが、それを差し引いても、モワーンと霧のかかったような頭であっちへ行きこっちへ行き、結局何を見て何を感じたか覚えていないような今の自分にとっては比べようもないシンプルで綺麗な生き方のように思えます。
そんなもんかもしれんけど
家でも会社でもなんとなく生きて、なんとなく快不快を感じて、資格の勉強したりラジオ聴いたり、その間なんか絶対考えてるはずなのに漠然としたふわふわした感覚しかないんですよね。これ、病気かもな?と思います。
見聞きしたことや思ったことをなんでもかんでも言葉にして腹に落とし込みたくなりました、無性に。
最高に面白いしためになる漫画でした
この漫画読んでて思ったのは、ほんとに何気ない日常の中でも葛藤したり試したりしながら少しでも気持ちよく自分らしく生きようとするのって、結果が芳しくなかったりうまくいかないことも多いかもしれませんが、ある程度年齢を重ねた人間にとって理想の生き方なんじゃないかということです。
人生も終盤に向けて、なるべくやなことはどんどん避けて通ってもいいと思う。今後一切怒られたくないというのもわかる(笑)
そんな生き方にもってこいのツールが脳内の言葉なのかもしれません。そういえばこのブログに書いた(といっても記事少なすぎですが)ことって不思議と忘れてなかったり、指標になってたりまたそれがしっかり実践できてたり、また楽しかった経験はより印象が濃くなってたりします。
ん、みんなは普通にやってるのか?
てかもしかして言葉で考えるのんて地球上のみんな当たり前にやってることなんかな??どうなん?
「言葉」をないがしろにせず、もっと大事にしようと思います。手始めに、頭の中で自分というAIを飼っているイメージを持って暮らしてみようと思います。結局それって自分じゃん、て事ですが、言葉を脳内で流す習慣を何十年も怠ってきた人間にはもう1人の自分に喋らせるくらいの強烈なイメージが必要です。
手始めにそいつの名前を「言葉で」考えます。
自由すぎて戸惑うゼルダ
こういう人は出てきません
仮想世界のよう
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドが面白すぎて現実よりそっちの世界に生きておりました。この記事の感じ、よくわかります。
こんなすばらしい効果も確かにあると思いますが、うかつに手を出すと帰ってこれなくなるともいえます。先月末にある資格試験を受けたのですが、勉強時間が大幅にプレイ時間に化けました。
圧倒的すぎた
ただ元々ゲーム自体めったにしない融通のきかないじじいとしては、スケールがでかすぎるのが地味に少しストレスになってしまいました。
どういうことかというと、オープンワールドというどこでもいける自由度が高いシステムを採用していて、ゲームやイベントの進め方も全て自由なんだけど、それが発達障害ルーチン人間にとってはどうしていいかわからなくなってしまうわけなんです。
自由をいまいち楽しめない
ひとつひとつきちんとイベントを片付けていくようなきっちりした進め方で、制約がある中での自由を楽しむというのでないとなんかモヤモヤしてしまうんです。
こう書くとホント人間として面白くないやつだなあ、と思います。開き直ってはいますがちょっと自分の人生全般に対する感想と相まって寂しい感じがします。しょうがないですけどね。
それでもそれでも起動してしまう
シナリオも戦闘も文句なく超面白いです。ゲームにあまり縁がなくてもゼルダだけは大好きです。
モヤモヤするとかいいつつ、何百時間はプレイしました。スケールでかすぎて少し間があくともうやり始めるのに助走的な「えいやー」て気持ちがいるほどです。
ゼルダの思い出
思えば時のオカリナを初めてやった時は驚いたものです。シャープのX1というパソコンでの「ドクロンの館」とか「デゼニランド」とかの記憶しかない者にとっては衝撃でした(古すぎますね)
永久にあてもなくエポナに乗ってハイラル平原を走り回っていたいような気分になったものです。特に印象深いのがゲルドの街、男性は門をくぐれないのだがどうにかして潜入しなければならない展開に、ワクワクしたものです。
ブレスオブザワイルドでのゲルド族
ブレスオブザワイルドでもゲルドの街は存在していて、住民はもっとおしゃれで(サンダル履いてる)性格的にも憎めなくて可愛い。
あまり詳しくは書きませんが、ゲルドの神獣を開放するにはイーガ団という盗賊に奪われた兜を取り戻しに行ってあげなければならず、そのアジトへの侵入と戦いがものすごくツボで緊張感もあって個人的に最高潮の盛り上がりでした。
インドアでの趣味に求めるもの
思えば自分は映画にもゲームにも緊張感を求めているのかも知れません。死と隣合わせの緊張感を、平和な部屋で見ているギャップが好きなようです。趣味悪いですね。サメの映画とか特に大好きです。
見方によっては一生遊べます
時のオカリナは忘れた頃にもう一度最初からプレイしたりしてましたが、ブレスオブザワイルドは無理ですね。もうあの莫大な距離の移動や祠や塔を再度探索する気にはなれません。それと情けなや年齢のせいか、TVの画面で長時間プレイしていると酔って若干頭痛がしてきます。
逆説的ですが、頭痛の予感にもめげず長時間プレイしてしまうほど中身が濃くて熱中してしまう。結局忘れた頃に最初からプレイしなくても続きからでもずっと遊べるという言い方もできます。
ちょっと距離おき中
ただ不思議なもので、資格の試験が無事終わってからは少し熱が冷めてアマゾンプライムで映画ばっか見てます。やらんきゃいけん事があるときほど燃え上がるもの、なんでもそうですね。
目も体力も衰えたおっさんが久々にゲームにはまったここ2ヶ月での一番の感想は、「トゥルーエンドでのゼルダ姫の笑顔は最高!」という嫌になるくらい至極普通のものです。
でもその笑顔の裏にあるそれまでのストーリーが丁寧に作られていたからこその、この感想なのでした。
カーラ・ボノフ、ビルボードライブ感想
チケット取れた
カーラ・ボノフのビルボードライブ大阪公演に行ってきました。前に行った時も同じ会場でしたが、また前回とは違う雰囲気と良さがあって大満足でした。
チケット取るの忘れてて、3週間前に見たら「満席」となっていてかなりがっかりしていたのですが、直前に見たら残っていたのですかさずゲット。キャンセルとかの影響かもしれません。
1曲目はまさかの「涙に染めて」で
昔からのファンの心をつかみます。前は確かアンコールの1曲目に持ってきていたはずなので、日本での人気曲という意味でのファンサービス精神と勝手に思っておきます(笑
2曲目はアルバムの冒頭も飾る「HOME」
まさに「家」に帰ってきたかのようなゆったりリラックスした雰囲気に会場全体が包まれます。ヒーリングターイム、です。
それにしてもあの年齢であれだけの精度の音量を出せることに少し驚きました。しかもビルボードライブは1日2回公演なんですよね。吉本新喜劇みたいですね。
その後は意外な曲も
代表曲といわれるような曲が続きましたが、中でも異色だったのが「Personally」。都会的なAOR色が濃い曲なので、アコースティック編成にはあまり合わないと思っていましたし、実際あまり生で演奏しているところも目にしませんでした。
イントロから大胆なアレンジのアコギの音色で、あれ?どっかで聴いた感じ、と既聴感にもやもやしている途中で、パーソナリやん、てわかった時の嬉しさ。ちょっと言葉にできない最高の3分間がそこからは続きました。
めちゃくちゃ良かったです。ある意味、今回のクライマックスだったかもしれません(あくまで自分の中での話ですが)
寡作な彼女がこういうアレンジで、あまりライブで披露しなかったような曲を演奏してくれたことを思うと感謝の気持ちが湧いてきます。
元々精力的なアーティストであればそこまで思わないのでしょうが、なんかヤンキーが更生したら途端にいいやつに見えてくるみたいな感じでしょうか?
もうひとつ、「Baby Don't Go」で、冒頭から顔の右横で手拍子をして、客席も誘うような様子も意外な一面、な感じでした。自然と笑顔が溢れてきます。もちろん演奏も歌声もパーフェクトです。
まあ意外な一面、といってもそういうおしとやかで恥ずかしがり、みたいな昔からのイメージは日本での勝手な印象なのかもしれませんね。
超絶偉大なギタリスト、ニナ・ガーバー
特筆すべきは、ニナ・ガーバーというギタリストがすごく良かったことです。
彼女はカントリー系のギタリストで、ストラトキャスターのクキクキした音を脳をとろけさせるようなトレモロを使って、夢の中で空中浮遊してるような気分にさせてくれます。
あのようなフレーズを次々と弾き出せるテクニックと感性はただならぬなんかであることに間違いありません(語彙が不足中です)
AORとかカントリーとかメジャースケールの紡がれ方が好きな人間にはたまらなく琴線に触れるようなメロディで、ずっとこのまま何時間でも聴いていたい気分になります。
今回のカーラ・ボノフの新譜ではセルフカバー曲がほとんどなのですが、ほぼ全ての曲で彼女のギターが聴けることで、もう一度再録してくれて良かったとさえ思います。
それにしても実際生で聴くと録音より何十倍も心に響きます。
途中彼女のコーナーみたいになってジョン・レノンのイマジンを弾いたのですが、あのC、F、G7のシンプルなコード進行の曲を縦横無尽に、アコースティックギター1本での独自の解釈による表現を堪能させてくれて、すごく感動しました。本当にうまかったです。
全体を通しての感想
何十年も前に作った曲を、新鮮な感じで成り立ちを丁寧にMCで話す様は曲、ひいては自らの人生を丁寧に大事に、そして悲しいことも楽しいことも凛と受け止めながら生きてきた様子が目に浮かびました。
しつこいようですが、寡黙で淡々とした印象のカーラ・ボノフ。今回のライブでは落ち着いてはいるのですが、どこか人懐っこくオーディエンスやツアーメンバーのニナにも優しい気配りをする様子が印象的でした。
前に同じビルボードライブ大阪で見たときはどちらかというと癒やしの静やかなライブという感じでしたが、今回は暖かい家に帰ってきたような、まさに2曲目に披露してくれた「HOME」そのままのような空間でした。
濃密で素敵な時間をありがとう!カーラ・ボノフ、ニナ・ガーバー!
西海岸の女神「カーラ・ボノフ」
新譜「CARRY ME HOME」
もうないと思っていた新譜が届いた
カーラ・ボノフの新譜「Carry Me Home」が自主制作ながら約10年振りに出ました。同じく自主製作のライブ盤を除けば約20年振り!!潔いほど寡作。しかもほぼセルフカバー。でも良いんです。新録聴けるなんてよもや思ってなかったし、聴きなれた曲の心地よさはじじいリスナーの特権です。
新作としてはタイトル曲の「Carry Me Home」が素晴らしくて、このためだけでも買う価値があったと思います。
今回も彼女のサイトで注文したら(といってもアマゾンとかで売ってないのでそうする他ないのですが)直筆サイン入り。ベスト盤の時と見比べるとやっぱ筆跡って年月を経ても変わらないなとしみじみ。
10年前に購入したベスト盤
どちらも、物にこだわりがない自分にとって唯一の宝物です。まあサイトで注文すれば全部サイン入りなんですが(笑)、そういう人柄も含めて彼女のCDは大切な宝物なのです。
超リラックスモードになれるα波なライブ
人柄でいえば彼女のライブはほんとにアットホームで癒しに満ちています。ビルボードライブ大阪では、いくつになっても変わらない声質と盟友ケニー・エドワーズやニナ・ガーバーと共に奏でる上品で自然な演奏が印象的でした。(残念ながらその後すぐケニー・エドワーズは亡くなられました、ご冥福をお祈りします)
ライブの後は酸素カプセルに入ったように(入ったことないけど)元気をもらって帰ったのを昨日のように思い出します。
ある日本映画との出会い
ウエストコーストロック全盛期の彼女の音楽は自分にとって特別で、音楽の趣味がガラッと変わった分岐点でもありました。
若い頃ロッキンオンという雑誌が好きで、そこで紹介されているミュージシャンは盲信的に(というと聞こえは悪いですが)聴き漁りました。今でもラジオでそれらの曲が流れると、懐かしーと同時にちょっとだけ通に見られたい欲みたいなんが思い出されてこそばゆい気持ちになります。
そんなときにたまたま観た「波の数だけ抱きしめて」という日本の映画。若者達が地元のFM局を立ち上げる際の困難や恋模様を描いていて、挿入歌が、そのままその物語でFM局が流してます、て感じでかかるんですが、これらの曲がハッと我に返るほど良かったんですよね。
今まで聴いてきたものとは違う、流れに身を任せてたゆたりたい様な心地良い、奇をてらわない「音楽そのもの」とでもいうのでしょうか?うーんうまく言えてない感じ満載ですが・・
映画の挿入歌にも使用された「Personally」です。割と静かな佇まいの印象の多い彼女にしてはMVちょっとだけ無理してる感ありますが、曲はばりばり当時のAORど真ん中で今見ても心躍ります。
AORという言葉を知るのは少し遅かったでしたが、それからは西海岸の爽やかな風のような、尖った感じではないけれども洗練された大人のロックみたいなんに夢中になりました。
ジャクソン・ブラウン、イーグルス、リンダ・ロンシュタット、J.D.サウザー、ジェームス・テイラー、カーラ・ボノフ、今書き連ねるとそうそうたるメンバーである彼らは繋がりが深くて、お互いのアルバムやライブとかにしれっと参加してたりするのを見つけるのも楽しみのひとつでした。
なんかアメリカンロックっていう響きを勝手にダサく感じていて、距離を置いていたのが非常にもったいなかったと後悔したのを覚えています。
「波の数だけ…」は今観ても本当に選曲が素晴らしく、若い頃にたまたま観れていい音楽を知るきっかけになれて良かったと思っています。
いまだに覚えている雑誌の記事
後にギターマガジン(だったかな)でギタリストの佐橋佳幸さんがジェームステイラーとかカーラボノフとかジョンホールとか、その頃夢中になった音楽を紹介されてて、すごく興味深く読んだ思い出があります。
佐橋さんのソロフレーズとか琴線に触れるのはそういうことかと思いました。しかも彼はジョンホールと友達で電話で新しく見つけたコードの話をしたりする仲だということが書かれてあったように覚えています。すごいですね。
代表曲の数々
てなわけで、その頃出会った音楽の中でも特に思い入れが強いのがカーラ・ボノフです。日本では「涙に染めて」がヒットしたので、同世代の方は覚えておられるかもしれません。
当時の日本公演のようです
この曲のような軽やかなギターソロを聴いていると、これ以上ないほどの幸せな気持ちになります。自分は渋いマイナー調よりメジャー調のフレーズの方が好きなようです。カントリーとかブルーグラスとかにも興味があるのはそういう部分かもしれません。
スコットランド民謡のカバー「The Water Is Wide」はCMとかで誰しも一度は聴いたことあるのではないでしょうか?
J.D.サウザーとの共演、これも日本です
ただカバーはそれぐらいで、リンダロンシュタット他様々な人にヒット曲を提供した程の生粋のソングライターです。
西海岸サウンドといえば、イーグルスやジャクソンブラウンがまず思い浮かびますが、感傷的な部分も爽やかな部分も含めて全ての曲がそれっぽいのはカーラ・ボノフが一番だと勝手に僕は思っています。それにしても「西海岸」てなんて甘美な響きなのでしょうか。死ぬまでに一度は行ってみたいものです。
奏でられ世に出ずる楽曲の数々は単に「癒し」と一言で言えないくらいで暫く離れていると、ああそろそろ聴かないと持たないて感じに大げさやけどなります。多感でいろいろあった時期に出会った楽曲への思い入れという側面もなきにしもあらずですが、それを差し引いてもオンリーワンの魅力を持った人だと思います。
「HOME」なんかは僕の中ではアメリカントラディッショナルといえるほどの名曲です。
「HOME」今回の新譜のTOPも飾っています
そして一番好きな曲は「If He's Ever Near」
youtu.be少しおとなしめな感じの彼女の声と曲調が切ない感じでマッチして、何回聴いても飽きません。
偉そうですが「元気でいてくれるだけで充分」
前述した通り寡作とはいえ、小さな会場でのライブなんかは積極的に行っているようです。
そういう情報が彼女のツイッターなんかで知れると、元気に音楽活動してくれているだけでそれ以上はいい、と感じてしまいます。感覚的には親戚の(憧れの)お姉さんの近況を知るような感じでしょうか。勝手に思ってるだけですが(笑)
今回のアルバム発売に合わせた来日公演が9月にあるということで、とても楽しみです。これでまた10年は生きていけそうです。