シンプルに生きるには?
魔法の言葉
瞑想のこと書いたときにも触れましたが
自己肯定感が異常に低く、超がつく生き下手な自分がおまじないとして唱えている言葉が「ナワキシタイゲドー」です。なんのことはない、ただの頭文字をつなげただけの言葉です。
手前みそながらこの言葉には楽に生きる上で絶大な効果があります。人生の大海原へ出る上での道標であり、いつでも味方になってくれる頼もしい存在なのです。(大げさですね)
但し生きにくさとかしんどさを緩和する為のものなんで、そーゆのをあんま感じてなければ全く無用の長物ということになります。
で、内容はというと
ナワ→(な)何か(わ)忘れてないか
キ→きどるな、かっこつけるな
シ→深呼吸
タ→他者の課題
イ→いまここに集中
ゲ→ゲームみたいなもん人生なんて
ドー→どー思われてもいいよ今さら誰にでも
何か忘れてないか(ナワ)
何か忘れてないか、は発達障害じゃないかと自認もしくは疑っている全ての人に当てはまる言葉だと思います。とにかくよく忘れる。特に短期記憶力が苦手ですごく重要なことでも、すっぽり頭から抜け落ちるので要注意ということです。
プライベートではほぼ自分が損をするだけなのであまり問題ではありませんが、仕事ではそうはいきません。「ナワ」は常に頭の隅に置いて、メモも持ち歩きます。(これだけで相当疲れますが生きるためにはしょうがないです)
きどるな、かっこつけるな(キ)
これは自分だけかもしれませんが、自己肯定感が低いくせに自意識がなかなかに過剰なので、人の目ばかり気にするな、という自戒がこもっています。
深呼吸(シ)
習慣的に1歩外に出ると緊張と焦りで呼吸が浅くなっているので、それにいち早く気づいて深呼吸を1回でもいいからしなさいということです。おまじないのおかげで気づく回数が増えました。
他者の課題(タ)
ご存じアルフレッドアドラーの言葉です。他人の言動は自分ではどうしようもないものだから、ああ言っていたとかあんなことされたとか思い煩らってても仕方ない、気にするなぁぁ!
この考えはスゴくいいと思って入れました。主観的に生きすぎてると、状況が見えなくなって感情がグルングルンと暴れてしまうものですが、こういう1歩引いた考えを取り入れて冷静になるというのは素晴らしい先人の知恵ではないかと思います。
他者だけでなく、過去や未来のこともいちいち心配しないようになればしめたものです。僕はまだまだですが・・
いまここに集中(イ)
不安を抱えていたりすると、次やることとか過去のことばかりに思いを煩わせがちですが、心ここにあらずの状態でいると今やったことも忘れてしまい、せっかくの先述の「なわ」のおまじないの効果も半減してしまいます。
とにかく集中して見るもの聞くもの、自らの行動の「今」に心をフォーカスします。瞑想中の心の状態を思い出すのもいい方法です。慣れてきたら自分の行動や周りの景色を実況中継したりもします。
ゲームみたいなもん人生なんて(ゲ)
油断をすると緊張と不安でガチってしまうので、失敗しようがどうなろうが死なへん、て言い聞かせる為の言葉。
極論かもですが、ぶっちゃけ世の中って全然公平じゃないし理不尽がまかり通ることも多いし、そんなちゃんとしたもんじゃないですよねはっきりいって。
だからあんま真剣に考えずにゲームみたいなもんと思って適当にいてまえ、でちょうどいいわてことです。
くどいですが、最初から人並みかそれ以上の脳力を持っててコミュ障でもなく、苦しくなく普通に生きれてる人はこんなこと考える必要はありません。
どー思われてもいいよ今さら誰にでも(ドー)
文字通り。恥は天文学的な回数かいてきてるんだから、今さら誰に何を思われても気にしない。それがたとえ自分の近しい人だとしても、その人の考えることは完全には理解しようもないので気に病まない。
ましてゆわれたことが頭から離れずぐるぐる回る、なんて事は精神衛生上最悪なんで、そうなったらすっぱり、えーよどーでもと開き直って忘れましょう。まさに他者の課題です。
頭文字をつなげた所がポイント
すぐになんでも忘れてしまう自分にとっては、頭文字が出てくれば思い出すことが多いです。故のおまじないなのです。なんでもすぐ忘れるのに、自分で作った意味のない言葉とかは覚えてられるんですよねえ、腹立つわ~!
なので資格の勉強とかで公式とか覚えるのだけは得意です。自作の意味のないゴロ合わせを作り倒します。
まとめ
話はそれましたが、このように書き記すことで、おまじないの再確認となって、今なんか少しスッキリした気分です。
瞑想の最初の段階で、いまいち集中ができてないときなんかにもマントラ代わりに唱えてもいいかもしれませんね。
ナワキシタイゲドー!!
これ書いててふと思ったのが人生も終盤に差し掛かって、こんな自作のおまじないを必死で唱えて社会に適合してるフリをするジジイ、てどうなんでしょう(笑
来世は虫の方が楽に暮らせるかもしれませんね。
思い立って嵯峨野散策
短い旅の始まり
平日に京都嵯峨野へ散策に行ってきました。
電車で窓際に座って外を見たら、ふわーっといい感じの心持ちになります。こういう気持ち、て普段の生活では味わえないことを旅の最初の時点で確信します。
朝の渡月橋
まずは嵯峨嵐山駅から歩いて渡月橋へ。まだ朝8時頃なので人もまばらで、おおでを振り振りスキップしながらでも渡れそうです(しませんけど)
渡月橋、実際渡ると結構長いです
涼やかな竹林道
竹林の小道も朝はゆっくりと写真を撮りながらでも歩けます。背の高い竹林の中を抜けていると癒しの別世界に来たようです。
祇王寺へ行く道すがら、美髪神社という髪をまつる神社があり、ふと見るとブラマヨの小杉さんが書いた絵馬がかかっていました。
竹がでかすぎてあなぐらを通っているみたいです(笑
祇王寺の芸術的な苔
祇王寺では大覚寺との共通拝観券が600円で売られていたので迷わず購入。
見事な苔にびっしりびっくり。いろんな種類があるそうです。素人目にも繊細な手入れがされていることがわかり、見ていて落ち着いた心持ちになるのがわかります。
祇王寺の苔絨毯、境内はみなこの調子です。
草庵にある虹の窓と呼ばれる窓、影が虹のように見えるそうです。
大覚寺で写経体験
大覚寺では、数ある建屋どおしを繋いで張りめぐらされたように長い廊下が印象的でした。昔の人になった気分でわざとゆっくり歩いて雰囲気を楽しみます。
一番奥の建物では写経体験をやっていて、短いものなら500円で写経ができます。
体験といっても、袈裟なんかも貸してくれて、仕切られたスペースで自分と向き合いながら行えるので、なかなか本格的に「無」の時間を過ごすことができます。
やった後は心持ちか、邪念が払われた気がしました。何事にも影響されやすい自分の性格を差し引いても、何か得るものはあったように思います。
写経に限らず「書く」ということは、心の平穏を取り戻したり、頭をリセットさせるのに非常にいい手段なのかもしれないと本当に思いました。
そういえば誰も見ないような落書きでも、一生懸命に描いたり色を塗ったりしている間は「無」になって、すごくスッキリするのです。写経と落書きの違いはありますが根は一緒なのでしょう(怒られるかな)
大覚寺の廊下を歩くだけでも行く価値ありだと思います
写経。平和主義です(笑
化野のレトロな町並み
昼食を食べに嵐山へ戻るも人の多さに辟易し、また上の方にヘイコラ登りました。
「あだし野」というおそば屋さんのような所で相盛りそばとアイスコーヒーを頂きます。
アイスコーヒーの器が京都すぎてめんつゆに見えます
そしてすごく情緒のある旧街道のような道をのんびり歩きながら愛宕念仏寺へ。
この道沿いにまゆで作られた人形屋さんがあるのですが、一番小さい人形なら100円なのでちょっとしたおみやげに重宝します。3つ買ってしまいました。
歴史ある情緒に彩られた町並みが続きます
名前の通り愛くるしい愛宕念仏寺
1200体もあるという愛嬌のある羅漢像を見ながら休憩。それにしてもみんな思わず話しかけたくなるような楽しそうなお顔をされています。
どの像も遊び心があります
逆立ちしている方もおられます
トロッコ列車は?
さすがに2回も上まで登ったら疲れたので、トロッコ列車に乗って景色を楽しんでから帰ろうと思ったのですが、残念ながら水曜日は定休日でした。
調べずに行くのは行き当たりばったりで楽しいですが、こういうことは調べとくべきですね。
ひとり旅の感想
今回のひとり旅は、家でゆっくりするよりもゆっくりできたような癒しの旅でした。
悩みや思うところがあるときなんかは、嵯峨野のようなところをゆっくり散策すると、堂々巡りの考えから思わぬ脱却ができたりすることもあるように思います。
外国の観光団体や何人か連れ立っての人たちが多かったように思いますが、嵯峨野は個人的にはひとり旅が似合う場所のように思います。
台北旅行記
荷造りが苦手なので海外旅行は一生いかねと思っていましたが、ひょんなきっかけで台湾へ旅行することになりました。
50歳目前での初海外の感想を書き残してみようと思います。
国内旅行よりも非日常感強し
当たり前といえば当たり前ですね。町並み、自然、人、動物。台湾は割と日本に近しい部分もありますが、それでも初めて見るような光景は多かったです。
たとえば、空港から宿泊先である台北の市街地までは結構距離があるのですが、電車から見える深緑一色の山々。ああ南国に来たんだ、という実感をもたらしてくれました。
台湾へ行く日本人はほぼ訪れるという九份。ベタですが、安定した(?)非日常感でした。
台湾の緑(猫空ロープウェイより撮影)
コミュニケーションの成立がいちいちうれしい
ASD気味の自分は、普段から人とのコミュニケーションがそんなに好きではないです。なんか、やり取りのすごく細かい部分が気になって、会話そのものを楽しめないんですよね。
ただ片言の英語とかジェスチャーでのコミュニケーションは、そういった細部の妙な空気感とかを気にする必要がなくて、すっきりとした印象でした。
それに単純に外国の方と意思疎通が曲がりなりにもできた時は、それだけで嬉しく感じるものです。
国父記念館で現地の方に促されて参加した太極拳。見た目より体力も使い、何より楽しい!マジで太極拳習いたくなりました。
士林夜市の屋台で買い食い。チープで不健康な感じがまた食欲をそそります。
異なる文化に触れることで新たな価値観の発見がある
歴史ある建造物とかが都会の真ん中にあり、そのスケールも半端なかったり。朝から晩まで外で食事をする文化とか、信仰に対する真摯さとか。
挙げたらキリがなく、それに全てに影響を受けたわけではありませんが、むしろ帰ってきてから、ああいう考えやライフスタイルもあるんだなぁ、と考えさせられました。
中でも125ccクラスのスクーターの常軌を逸した多さ。中型スクーターは自分もその便利さに10年以上も身体の一部となっているほどなので台北の方々わかってらっしゃる、という感じでした。それにしても多かった(笑
中正記念堂
中正記念堂内の蒋介石像を守る衛兵さんの交代式が有名ですが、外でいろんな曲に合わせて練習していた衛兵の卵(?)さん達のパフォーマンスの方に見入ってしまいました。一挙手一投足が実にキマッていました。
深い「信仰」の習慣のあまりない日本人だからかもしれませんが、すごく神聖な領域に足を踏み入れてしまった感じがしました。一心不乱に、そして真剣に祈りを捧げ、歌を歌う人たちを見て、なぜか自分がものすごく恥ずかしい人間のように思えて、せめて教わった参拝方法を間違えないようにしようと必死で思い出しながら回りました。
初の海外の印象は?
僕にとっていつも旅といえばリフレッシュよりものんびりとした癒しを求めてしまうものなのですが、今回の台北旅行はなかなか刺激的でおもしろかったです。
ハードスケジュールでがっつりと様々な知見を深めるような旅もたまにはいいものだと感じました。
この4日間で台北の主要なスポットはほぼ回りました。次行く時はディープな所も行きたいです。
太極拳とタピオカミルクティ最高!!
慣れ、欲望、比較はとどまらない
HEMの"No Word From Tom"のアルバムジャケットの模写をしてみました。
そんなことをしながらふと思ったことです。
スマホゲーム
たまーに暇な時に老眼鏡をかけてスマホでゲームとかすると、え!と思うくらいおもしろい時があります。
なのにその流れでいろんなのやってると、突然全てに飽きてもういいわ、てなる。
精巧で美しいグラフィックのゲームとか、昔からすれば考えられないくらいの素晴らしさだけど、そのような英知や技術を駆使したものにすら慣れてしまい、もっと楽しくもっと美しく、と求めてしまうのです。
落差があるほど刺激も大きい
資格の勉強とかややこしい仕事とか面白くない用事とか、長期間がんばってからだとドット絵の単純な昔ながらのゲームでも、めちゃくちゃ甘美なほど楽しく感じます。
苦しみ、快楽は正反対ですがどちらも慣れてしまうものなんでしょう。だからこそ反発として逆のものには、慣れたときでは考えられないような衝撃が伴います。
刺激から距離をおく
時々は慣れた感情からも、まだ来ぬ未来の感情(これが一番恐ろしい)からも離れて静かに過ごす時間って、大切だなあと思います。
だからこそ僕は静かに音楽を聴いたり映画を観たりする時間が何10時間に1回は必ず必要です。掃除をしてキレイになった部屋でお茶を飲むのもいいですね。うんパワーチャージ。
距離をおくためのものからも距離をおく?
しかし考えてみるとそれなんかでも、慣れやさらに自分に合う作品なんかを求める欲望はとどまらないわけで。
毒にも薬にもならない時間を休息的に過ごしているつもりでも、結局は人間の持つ根源的な毒はちっとは飲まなければ生きていけないのだなあと思います。
無意識の比較
「慣れ」と共に人生をややこしくしているのが「比較」です。あの人と比べて自分はどうとか、ねちねちといつまでも考え続けてしまうのです。全く無駄な時間です。
ややこしい用事のあとのゲームが刺激的ということからもわかるように、人と比べたりはしないように意識してても、結局は無意識では自らの体験の比較なんかはしてしまっているんですね。
人はなかなかどうしたって慣れや比べることからは逃げられないのでしょうか。
呪縛は解けない
なんでも無意識で比べてしまっている、ということを念頭に置いていれば「あの人に比べて自分は全然ダメだ、はー」なんていう超わかりやすい比較をすることも減ってくるんじゃないかと思います。
これからは少し心がけてみようと思います。瞑想はその方法論としての1つですね。
完全に無意識状態で比較するのと、無意識で比べていることをわかっていて比べるのでは意識的な行動も変わってくる気がするのです。
欲望からの呪縛でがんじがらめにされるのでも、完全に呪縛を解くのでもなく、すこ~しだけゆるめておこうというスタンスです。
ほんとに自分自身でコントロールできるのはそんなくらいじゃないかと思います。
若いつもりでいること自体が若くなくしている。ややこしいことをゆうといてなんですが、できるだけシンプルに生きたいものですね。
無意識を意識しようと意識した1日でした。
効率的で時短な家トレの考察
脳も身体も血流が命
やるべきこととかやらなければならないことがあるのに、なかなかやる気になれず悶々としているときは、エイヤッとちょっとだけ腕立て伏せとかしてみると、いらいらしたり焦ったりの気持ちが少なくなって落ち着いた感じで脳が動き出す。
誰にもそんな経験はあると思いますが、簡単な運動がもたらすのは爽快感だけでなく、その運動に費やされた時間をはるかに超えるリターンがあると思います。
昔読んだ本には血流やら刺激やらなんやらで、適度な運動が結局脳を活性化させる一番の方法なのであると書いてました。
僕がいろいろ試して行きついた家トレ
ジムとか行かないで、お金も時間もかけずに家でマイペースで軽い筋トレをやる家トレ人間が、周りにもちらほらと増えてきたように思います。
自分が今、2日に1回くらい行っている運動は
腕立て伏せ10回 、襖の桟で懸垂10回、腹筋ローラー5回
(50歳超えてからさらに減りました・・)
後は適当にストレッチとかです。
書くと拍子抜けするほど少ないですね。運動といえるレベルじゃないといわれる位のしょぼさです。
確かに筋トレといえる運動量ではありませんが、平日でも毎日続けようと思えばこれでもなかなかめんどいものです。
目的が頭ん中スッキリとさせてちょっと前向きに。そしてぐずぐずせずにやるべきことをやる、てことだったら別にムキムキにならなくてもいいわけです。
その副産物として細マッチョ風のいい感じになるし、身体も軽く動きやすくなるんだからいいことづくめなわけです。
普通の家トレとどこが違うか
ポイントは家で筋トレするなら定番である普通の腹筋背筋とかでなく、懸垂と腹筋ローラーに絞っている点です。
懸垂は最強の自重トレーニングといわれる位体重の負荷を最大限に利用できる運動で、腹筋ローラーもこれまたものすごい負荷が体幹にかかってくるわけです。
なのでもし運動の習慣が全くない状態からはじめられる方は怪我予防のために必ず軽い負荷の運動からにして下さい。
それと、ちゃんとした筋トレをしたい方は「筋トレ 方法」でググって頂ければ、いろいろと目的別のやり方を教えてもらえるのでそちらをオススメします。
僕のやり方はあくまで、時間もかけたくないけどやってて変化が見えないのも嫌、体力的にも長時間はきつい。
ていう完全にオッサンとかズボラな人向けで、何の理論にも基づいてません。ただ自分の実践結果のみです。
1ヶ月ほどやってみた結果
これ位の見てくれにはすぐなれます(右腕)
↓
中年の腹の写真を見せるのははばかられるので腕だけですが、腹もちゃんとシックスパックに割れてきてます。
懸垂、腹筋の自分なりのアイテムと方法
自分の体質に合ってただけかもしれませんが、たぶん懸垂が効いてるのだと思います。
僕の場合は最初は襖の桟にぶら下がっていたんですが、指が痛くて続かなかったので、ホームセンターで長さ70㎝くらいの安い木の角材を買ってきてその桟にくっつけてやってます。(木ネジと100均のエポキシ系接着剤使用)
こうすると、二の腕の内側の筋肉にも負荷がかかって鉄棒による懸垂よりも腕全体に効く感じです。
難をいえばここの襖は長女の部屋との境目なので、懸垂するときは必ずここの襖を開けなければいけないので気まずいこと位です(笑
腹筋はネットでも1000円前後で買える腹筋ローラーを使えば、普通の腹筋運動よりよほど強い負荷を加えることができて、すぐに割れてきます。(慣れないうちは膝を地面に付けた状態での使用をおすすめします)
時間対効果がすごい
確かに効果には体質とか食事習慣もあるかと思いますが、ジムとか通うのめんどいし金も時間も絶対にかけたくない。
ていう自分のような人は普通に腹筋背筋何十回何セットとかがんばってやるのではなく、懸垂と腹筋ローラーの2つに絞って好きな音楽でも効きながら楽しくやるのがオススメですよ~という話でした。
言葉で考えますか?イメージで考えますか?
言葉の効用
先日4人ほどでごはん食べに行って、何か勉強とかしなければいけないとなった時どんな?て話になりました。
当然なかなかやる気が出ないとか続かないとか、気がつけばゲームをしたり好きな本を読んだりしてしまうとかって話になります。
その際に、今まで試した中では敷居を思いっきり低く設定するのが有効だったよ、という話が口下手な自分の口からすらすらと出てきました。
こんなことはめったにないのですごく印象的な出来事だったのですが、これにはちゃんとした理由があったのです。
敷居を低く云々は、つい先日ブログに書いたことなのです。
頭の中でこれこれこうで、ではなぜそうだったかとかが一度言葉にすることによって、まとまっていたわけです。
人となりは何で決まる?
あなたは何か思考するときに言葉で考えますか?イメージで考えますか?
僕は言葉では考えません。というか考えられません。だから論理的な思考ができずにいつも頭の中がぐちゃぐちゃなのです。
そういう人間は一度何かの折に考えを言葉にまとめるのがいいと感じました。大げさにいうと、自分は何者なのかへの答えを求めるならば、イメージだけでは非常に捉えづらいということです。
言葉はなくても、とっさの行動や反射的にどう動く人か、で人間の個性はある程度決まる物かもしれません。
でもそれだと、周囲の者は自分のことをわかっているかもしれませんが、自分で自分のことはよくわかっていないのではないでしょうか。俺ってほんまに~なんよな、と思ったりはしてもその実モヤーっと霧のような状態なわけです。
考えの整理は意外と楽しい
とにかく日記でもメモでもなんでもいいから言葉にしてみる作業は、自らの内面のどこかに乱雑に置いてある積み木を丁寧に積むようなものだと思います。
遠くから見てもそれが何に見えるのか一目瞭然ならばなおいいわけですが、近くで自分にしかわからなくてもそれはそれで全く無駄なわけではありません。
少なくとも前述したモヤーっとした霧は晴れているはずです。
ワイズリーブラザーズについて
ブラザーズだけどガールズバンド
今年2月にファーストフルアルバム「YAK」をリリースした日本の3人組ガールズバンド、ワイズリーブラザーズはワイズリーブラザーズバンド、といってほしい位のバンドバンドしたバンドで、最近のお気に入りです。
いろんな魅力がつまっているおもちゃ箱のような人たちで、娘共々親子揃ってファンです。
最初は良さがわからなかった
一番最初に聴いたときは、あのとても印象に残るアーティスティックな声が故に逆に3人の醸し出す無二の音の間に気づけずに、ああ日本の3人組ガールズバンドだなあとスルーしてしまっていました。
それがシンプルで音数が少なく、どこかで出会った気がするようなギターソロが出てきてあれっ?となって。
さらにYouTubeで「鉄道」を聴いてから
すごく妙に気になって耳から離れなくなり、他の曲も探す内に細部とか音そのものとかリズムまでゆっくり聴いてると、そのたびに「なにこれ完璧じゃん」と素人ながらに思ってしまったのです。
プロではなく素人に(なんとなく)そう思わせるのって難しいことだと思うんですが、たぶん全く意識せずにそうなっちゃってるんでしょうね。
何に対峙したとしても誠実で無邪気な生活者としての全てを放り込んで滲み出させていることが、違和感なく心の琴線にすっと入ってくる一番の理由なのかなと勝手に思っています。
その魅力とは
アルバム「YAK」を聴いたときは、生っぽさとかスパッと終わるとことか初めてビートルズを聴いた時の様な高揚がまず来て、そっからは完全にするめでした。それも特産品の高級なやつ。
頭の中でヤックの曲が一日中入れ替わり立ち替わり流れている状態です。
曲はもちろん、発信、ファッション、創作物なんかにもこの3人にしか作り出せない独特の雰囲気があり、かっこつけることのない(人間なので多少はつけるかもしれないが)「嘘のなさ」が拡大されているように見えます。
超自然体ゆえ
表現というものによって、いとも簡単に誰にも分け隔てなく信頼と安心を得させて異空間に旅立たせる。(こう書くとなんだか宗教色が出てきますが)
若いのにそういうことを自然にできてしまうのがワイズリーブラザーズだと思います。彼女らにはもともとすごいものが宿っていて年を経てもこの嘘偽りない感じはそのままに、表現力はもっと圧倒的になっていくのだろうと思います。
そのころには(もっと早いかもしれないけど)多分知らぬ者はいない位の大きな存在になっているでしょう。
いい意味で昔の洋楽を思わせる生々しくグルービーな演奏、CDでもライブでも変わらず素晴らしい演奏と歌声。なのに全くすかしたり気取ったりせず、屈託ない笑顔と自然体。
やなこと忘れます
ワイズリーブラザーズの曲や、3人の何がしかの作品にふれている時間は時に優しい気持ちになるし、別の世界にいるみたくなる不思議な体験です。
3人のそれぞれの声、楽器の音色、醸し出す雰囲気、人生観までもが渾然一体となってこれ以上ないハーモニーで溶け合って聴く人見る人の心の奥底に入り込んできます。
結局この思いにつきる
いろんな人を少し幸せにしたり、背中を軽く押してくれたりの彼女達が表現者であってくれてよかったと思います。(ライブも最高でした)