涼しく熱い「Captain Sad」
関係ない挿絵
7月の月の真ん中の週のさらに真ん中に届いたThe Wisely Brothers の2ndアルバム「Captain Sad」
悲しみを持ちながらもいつか光に変えるキャプテンサッド。頼もしいコンセプトだけで即聴いてみたくなります。
戻らない歌を歌う
冒頭の「気球」。ベースラインが入ってきた時の気持ちよさは昔「Silly Love Song」を初めて聴いた時を思い出しました。
まっすぐすすんだ
君を忘れかけていた
戻らない歌を歌う
ほんとは全然違うやろけど損をかぶるまじめな人に対するオマージュと思うと、なんとなく救われる気になるのでそう感じておきます。
人間観察してるとまっすぐな人ほどいろいろ考えんといけん(と思い込んでる)ことが多く余裕がなくて敬遠されたり。やからそんな人をたまに見かけると少し愛おしく感じる。
それとそういうことに対する(よくいわれるまじめな人ほど損をする的な)理不尽さを世の中に対して常々感じてたりもするので・・
で発売日はたまたま有給で休んだ日だったので、なんとなくそんなことも考えました。
悠々爽快に飛びすさむ
「ツバメ」の夏っぽくしめやかなギターフレーズはとても心地良く、涼やかなのにもの悲しい感じは好きな夏のイメージに近くて縁側で冷しうどんを食べたくなりました。(そうめん嫌いなので)
つばめは通りをぬけて
悲しみさえも風に変え
さわやかに勢いよく通りを抜けるさまはいかにも、悩みは悩みのままとにかくシフトチェンジしていこうと提案してくれているみたいです。
誰もが抱えるであろう生きにくさに勇気を与えてくれるような、そんな楽曲に感じました。
一筋ナワではいかぬ音の群れ
アルバム全体、輪郭はPOPなのにとても変わった感じの攻めたリフやリズムが多い感じがします。言葉もそう。
「Captain Sad」を聴いている時に浮かぶ彼女らのイメージは、何も持たずに中ぐらいの庭に放り込まれて、木々や草や土やおよそあるものを駆使して表現する芸術家のようです。
川の流れのように
「River」
River下がる
いろんなせでみるの
人があらいのがれ
もうすぐになれば
忘れてしまう
あっという間に抗う術もなく川のように流れる年月。
ブルーススプリングスティーンが若い頃に歌った「River」は私小説的で、アメリカの片田舎での閉塞感がだんだん先細るような川を連想させました。(実際そんな川はないやろうけど)
彼女らの「River」は生きていく上で目にする森羅万象や人々に対して全てに意味を求めるわけでもなく、かといって諦めるでもなく、この場所のこの流れって刹那だよね〜、みたく言ってるようでした。(そんな軽くはないでしょうが)
おっさんの頭の中ではスプリングスティーンより美空ひばり的な川がゆるやかにかつ力強く流れていました。
職人の持つ潔さ
いつもだけど今回富に感じたのは、音の洪水ではなくいいと思えた物のみを丁寧に選択し削ぎ落とした上で創造された歌詞、リズム、旋律のように思えます。その割には潔い一発録りっぽい雰囲気もある。(実際は違うと思いますが)
なんとなくその辺りに飽きがこない理由もあるように思います。
職人は「自分の」感覚を信じてそれに対して嘘をつかない作品を世に放ち、後の評価はどうあろうがそこに迷いはありません。若き職人気質達の紡ぐ音は時代に左右されない普遍性に満ちています。
5回くらい聴いてみた感想を簡単かつ好き勝手に述べましたが、聴く度にいろんな発見があり、また自らの感じ方も変わる予感がする良盤です。