おっさん指南

オッサン死なん、オッサンの楽な生き方を模索します

なわどーフーコー

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「なわどーフーコー」星の「なわどーフーコー」星人

 

指針の呪文ちょっと変更

若者の生きづらさってクローズアップされやすいけど、能力が低く今の社会のスピードや考え方とはいまいち合わないけどなんとか必死で合わせて生きてるじじいの生きづらさ。

 

そういうのを抱えてる人、どれくらいいるんでしょうか。自分だけなのか? 知りたいところです。

 

以前、なわきしたいげどー、て呪文を自分で考えて唱えてきました
rebel.hatenablog.com

 

ですが、ここいらで少し変更しようと思う。

それは「なわどーフーコー

 

自殺してはじめてやっと生きていけるバカさ加減

何か忘れてないか、の「なわ」は脳が退化して無くなりかけてる感じが年齢を重ねてさらに磨きがかかりだしたASD体質の自分には必須なのでそのまま保留。

 

てか最近富に忘れ物とか仕事上のミスが増えてきて、このままではヤバい、自殺しないと生きていけない(?)と感じ始めたのであります。

 

そもそも変えようと思った発端はこれ。 余計なものは排除して自分とは全く相容れない世の中(世の中が悪いのではなく自分が悪いんですけどね)になんとか同調して生きていく選択をしたからにはトコトン同調してバカなミスを少なくして生きていかねばえらいことになると感じ始めたわけです。

 

この文章自体ヤバい感じもするが自分ではどうしようもないです。

 

バカのくせにかっこつけたいスーパーバカ

次の「どー」のどー思われてもいい誰にでも、てのは「他社の課題」や「いまここだけを生きる」よりも、頭の回転が超絶悪いくせにカッコつけて賢いふりをしようとするくせがいつまでたっても抜けない自分にいい加減腹が立ってのことです。

 

他人がいれば常に氷のようにカチコチでイカリ肩

フーコー」は子供の頃から大好きだったアントニオ猪木の戦法「風車の理論」のフー。 これは身体の力を抜いて相手の技を受け流し、その力を利用して逆に攻撃に転じるというもの。

 

攻撃はしないけど、常に肩の力を抜いてぼけーっと生きて(それでなくても世の中で変に浮かないようにガチガチに固まってしまっているので)、いざというときだけ脳をフル回転させて機敏に対処する、という感じで生きていきたいなあという思いなわけです。 有事の際の機敏さといっても普通の人の普段より多分機敏じゃないですけど。

 

孤独に抗おうとする執着心がとても嫌

「コー」は孤独は天性を忘れるなてこと。 これは常に思っとかねばです。 ややもすると孤独は集団中での自分の宿命なのに、あろうことか一人前に寂しい思いにかられたりする。 バカか! 身の程を知れ! このあんぽんたんが。
 
まあほんとに集団の中での孤独ってなんでか結構辛いんだけど、それを辛く感じる権利は自分にはないよな、て感じです。
 
人より忘れっぽいし、みんなが楽しそうに話すような話題もないし何より自分の話は誰が聞いても面白くない。 だからといって話を面白くしたり趣味を増やしたりいろんな知識を増やしたりする気もないんだから孤独と共に生きるのは辛い、なんて感じる権利はないのであります。
 
孤独を普通としてなんにも感じなくなることはライフ目標なのです
 
今もライフ目標と書こうとして何か目標の意味のかっこいいカタカナはないか調べようとして恥ずかしくてやめたくらいなので、かっこつけの根は相当深いのではないかと思うわけです。ほんと気持ち悪いじじいです。
 

幼稚な大人の存在価値は?

生きるのを諦める人って、直接の不幸が原因てことももちろんあるだろうけど、こういったことを突き詰めて考えていってもういいわわし、てなる人も一定量いるような気がします、なんとなくですが。 自分だけかな?
 
そもそもこんな中学生が考えてるようなことをいいオッサンが考えて悩むのも相当キモいことだけは自覚しておこうと思います。 でも考えてしまってるもんは仕方ない。 人より35年くらい脳の成長が遅いのかもしれません。
 
そんなわけで呪文は変えましたが、これからも相変わらず手もみ足もみで世の中というものに烏合して愛想笑い全開で這いつくばって生きていきたいと思います。
 
這いつくばって生きて天寿を全うするのであります。